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火箭はかせんやと思ってました。試しにひせんって打ってみたら出てこなかったです…
いつも投稿楽しみにして待ってます!楽しみをありがとう🎉
12:32 三国志の書物魯淑が持っているのは竹簡(木簡)です。竹や木の細いものを膠や革の紐で纏めたものです。当時紙は大変貴重な物であり、地図など国家機密の物にしか使われませんでした(地図=領土であり、地図は降伏時に最初に出す程重要なものです)。そのため命令書など一時的にしか使われない物は布、竹簡、木簡に書いて、読んだ後に燃やすまたは保管するなど処置を取りました。※紙が広まり出したのも蔡倫という宦官が105年頃の後漢時代(三国志の少し前)に広めたため、まだ登場してそんなに経っていません。紙は中国の最重要機密であり、紙そのものや作り方を伝えようと外に持ち出すと死刑になりました。イスラム世界に紙が伝わったのは700年と紙が開発されてから600年後です。竹簡は紙と比べて劣化しにくいため、1972年に銀雀山漢簡という陵墓(墓)から孫子、孫臏兵法が見つかるなど2000年経っても原型を残して見つかる事があったそうです。なお本を数える際に『冊』を使いますが、これは木簡や竹簡を表した象形文字だそうです。(本を擦り切れるほど読むことを孔子の故事から『韋編三絶』と言います)※ 韋編は纏めた竹簡。三絶はその紐が3度切れた事から。
パスタに見える竹簡に見せかけて実は愛知名物きしめんかもしれない
@@eg_uebara2008いや、実はそばかもしれませんよ?
領土が細長く伸びてる所がちょっと不安ですね…北か南を押し上げないと敵と面してる前線が多いから油断すると崩壊しそう…
13:20 パスタおじこと高柔。袁紹の甥である高幹の従弟になります。従兄の高幹1度曹操に降伏、再度反逆すると従わずに曹操の元へ降伏。曹操はいつか罪に問い、処刑しようとするも、あまりに優秀すぎたために出世した人物です。司馬懿の『正治の変』が起こった際にも司馬懿に協力して曹爽を追い落とす事に加担しています。
つ、ついに海まで広がった!!!と言っても海軍戦は無かったよねw銀屏たんが脳筋になってしまっては花マンさんのキャラが薄くなってしまうよお!wあと、忠誠低くて引き抜けた武将の忠誠ってどうなってるのかな?!あと引き抜きした後はその時いた都市で登用なのかな?!内政型を安全地帯に武力型を前線に振り分けるのも大変そう。その辺りは人事で個別に出来るのかな?!
18:02 三国志の身なりと刑罰現代ではヘアメイクなどで簡単に髪を切ることができますが、この時代は髪=親から頂いたものとしてそれを切る=首を切ると同じ屈辱出会ったそうです。では長くなった髪はどうしていたか?それは冠に簪をつけて固定していました。そのためこの時代の人は長髪がほとんどです。そのため『蒼天航路』では劉備が呂布に捕まった際に髪を削ぎ落とす髡刑(こんけい、髪を剃り落とし投獄)に処していました。演義でも曹操が『畑の麦を踏んだら死刑』という令をだし、その後自分の馬が畑を踏み荒らした際は自身も首を刎ねようとしましたが、部下に止められ、ならばと自身の髪の毛を切る(首を切ると同等の行為)をしています。このように古代中国には体を傷つける肉刑(臏刑(足切り)、刺青、棒打ち)があり、時には死刑と同等の意味を持つものもありました(日本で言う武士が髻(もとどり)を斬る行為と一緒ですね)※棒打ちに関しては下手すれば死にます(『蒼天航路』では一打で死んだ奴いましたし。曹操曰く40回を正確にやると確実に死ぬそうです)。演義赤壁の戦いの際に黄蓋に棒打ち100回(減刑して50回) に処しましたが、下手すると苦肉の策失敗に終わってたんじゃ…。
火箭(かせん)では………直ぐ処断しますね、確かに後年になると武将不足になりそうw
うぽつです。人間攻城兵器強すぎる
元姫ちゃん処断 なんてこった まあ親父と爺さんも処断してるから仇敵関係になってただろうから仕方ないか
玉璽はその名の通り玉(現代では翡翠と呼ばれる緑色の宝石)でできているのでこれが本物です曹節は献帝の妻の一人で曹丕が「皇帝になるから玉璽よこせ」と言った時に使者に玉璽を投げつけたエピソードがあるので持っているのだと思われますちなみに三国志だと張飛の息子の張紹も玉璽を持っているグラです16:00 広陵の武将だと諸葛誕さんは結構強いですね全能力70〜80代だったはずですゲーム的には義理が低いのでもしかしたら登用できてるかも?諸葛亮の従兄弟で文欽などと共に魏を牛耳っていた司馬氏に反乱をし、孔明は龍・孔明の弟は虎・諸葛誕は忠犬だと称されました
14:13 三国時代の宴と酒三国志の書物において度々出てくる宴。酒を注ぎ、肉を頬張り、家臣や仲間と労を労う…。戦乱の世の娯楽の1つでしょう。さて、どんな料理が出されていたかは分かりませんが(2000年近くも前だし)、かなり厳しいマナーがあったそうです。・食事、目上の人が来たら起立。・ガツガツ食べない・肉や魚を初めに食べてはいけない・取った物を戻すな・骨をかじるな・偏食するな・食事ができることに感謝せよ(庶民は疫病、飢饉、蝗害に苦しんでいるので食事ができること自体に感謝しないと)またこの時代の酒は温めてから飲むのが一般的であり、アルコール度数が低いこともあってか多量に飲まないと酔えませんでした(現代でも蒸留酒より果実酒、穀物酒は度数が低いので)。葡萄酒も西域から伝わり、曹丕がこれを愛していたとも。出陣前には酒を飲み、士気を上げ、神、祖先に対して感謝を述べて戦に行きます。また酒は水よりもより安全な飲み物として飲まれていたという側面もあります(ビールやワインも同様の理由でメソポタミアやエジプトで作られており、水より酒の方が安価な地域もあります)。曹操の詩『短歌行』にも酒が出てくるなど三国志において酒は斬ってもきれない物でした。温めた酒を『爵』という独特の酒器(杯)についで飲んだと思われます(名品で売っていますね)。曹操は自身で酒を作り、『酒の神=曹操』であったり、張飛が部下にに命じて作った『保寧圧酒』など現代中国でも確かに三国志の酒が根付いています。雑談で三国志で最も酒好きは誰か?張飛、曹操、曹植…?いいえ、孫権です。孫権は極度の酒乱であり、酒によって部下を殺しそうになったことがあり『今後宴会で出した命令は不問とする』と言葉を残しています。また家臣にアルハラしたりなど『こいつが本当に君主か?』という失態も起こしています。いつの時代も嫌な上司をもつと苦労しますね…。
あんまり呉の進出先潰すと連合切れたときにこっちに向かってきそう
火箭かせん だねと見事に釣られてみる
火箭かせんだと思います。「ひや」でも出ます。
人材の登用はマスクデータの義理や相性なんかが関係しています。義理が高ければ相性が良くても登用しにくいですし、君主との相性が良くて引き抜きをしかけた人物との相性が悪いと忠誠がかなり低くないと成功しにくいです。韓起は史実では公孫淵に仕え、最初は連携するといったのに急に心変わりした公孫度の指示により呉の使者を〇害して金品奪ったりしてるやつなので、義理はおそらく低いでしょうから相性が最悪なのかもしれません。
都市攻撃して勝つって普通できないよな、バケモン…
強いね信長 魏には反撃させずどんどん攻めて行けば勝つだろう並び立つ強さの相棒が欲しいね他に車がかり持ってる人おらんのかな
生き甲斐!!!
ゲームだとどういう扱いになってるのかわかんないですけど曹節は三つ子の姉妹全員で献帝の三代目妃になってます(初代と二代目は一族または本人が曹操害そうとして誅殺済み)で本シナリオみたいな曹操死後だと何が起きてるかというと曹叡、曹琳くんの父 曹丕が献帝脅して帝位もらいうけてるんですよねえ義理の弟脅してwその際玉璽引き渡さず抵抗したり最後は投げつけて爵位もらって隠居した献帝に最後まで付き従ってますなので曹丕はもちろんその子らなんて嫌いなのかなぁとwリアルの考えでいうなら曹家じゃなくて劉家扱いでもおかしくないですし
欲望に正直なノッブ😂
赤壁の戦いを再現したんですね(๑•̀д•́๑)キリッ✧︎引き抜きガバガバだから、蜀の武将も引き抜きガバガバなのかな(* ᐕ)?
弱すぎるから相手になりそうな有名武将は編集でめちゃくちゃ強くしてみた。味方CPUが負けまくるのでいいハンデに😊
呉と蜀を残して魏との闘い吉と出るか、半と出るか( ・`ω・´)※凶はどこかに行きました。
今日のパッパは沢山食べるね
信玄公「んっ!お尻ぺんぺん?何言ってるのだ!信長公よっ!夜の方だぞ!」(お仕置き番号2番改めて)謙信公「何や!信玄!うちもきたから信長公でっ遊ぶかっ」
都市壊しは、やめた方が良いんだよなぁ!4500の城壁の耐久が500まで下がりました!都市攻撃は、やめましょう!
パッパ、あれだけおなごは食べるな言うたのに…(´・ω・`)司馬昭正室の王元姫。司馬昭との間に6人近く子供を産んだものの、ほとんどが早世してしまい、まともに残ったのが長男の司馬炎と三男の司馬攸(しばゆう)くらいしかいませんでした。実際に司馬懿、司馬師、司馬昭らから期待されたのが司馬攸の方で、若いころは司馬炎も司馬攸も評価はされていたものの、人望的には司馬攸の方が勝っていたとされ、司馬昭も後継には当初は司馬攸を考えていたともされます。ただ、家臣から「長幼の序」を乱すという事から反対にあい、結局、司馬炎が後継者となり、司馬攸はこれを支える立場になります。こうした経緯もあって、司馬昭も王元姫も自分が亡くなった時の司馬攸のその後を相当心配したとされ、王元姫(この頃は王太后になっていた)は亡くなる際に司馬炎に「攸はそなたのことを冷たい兄だと感じていまる。私がいなくなった後、そなたと攸が相容れられなくなるのが恐ろしい。そなたに攸のことを託しますが、私の言葉を忘れてはなりません」と託したとされます。司馬昭が亡くなった後、王元姫は51歳で亡くなりました。司馬炎と司馬攸の二人、しばらくは関係はそれほど悪くなかったのですが、司馬炎は皇帝となって、呉を滅ぼした後は酒色に溺れるようになりww、なおかつ司馬炎の息子の皇太子・司馬衷は絵にかいたような愚か者だったのでw、司馬攸は家臣から期待されるようになり、晩年には溝ができ始めてしまいました。さらに司馬炎に付いた家臣の讒言もあったりして、司馬攸は遠ざけられるようになり、最終的に憤怒の挙句に病を発症し、38歳で亡くなってしまいました。こうして家臣たちが、司馬氏の王族たちにくっ付いて色々と好き勝手を始めてしまい、さらには司馬炎の没後には愚か者の司馬衷が皇帝になった事で、その后の「顔も悪ければ性格も悪いw」賈南風とその一派の専横を招くなど、司馬懿・師・昭の3人の祖が必死こいて「陰謀を巡らせて」築いた晋王朝を、泥沼の「八王の乱」で国力を弱体化させてしまい、あっさりと晋を滅亡に招いています。この腐敗構造は呉の末期の政権と結構似ていたりします(王族が好き勝手した&皇帝が暗愚)。
誰か教えて欲しいのですが、もう結婚してる人と結婚するにはどうしたらいいですか?夫殺せばいけるんでしょうか?自分が殺しちゃうとまずいですかね?
えっとリアルの話ですか?
三国志8リメイクで結婚してる人と結婚するならばその人が未亡人になるまで待ちましょうとしか言えませんね。別のチャンネルさんは劉備で周瑜が死んだ直後に小喬と結婚、その後寿命を伸ばしています。自身が配偶者を殺すと仇敵となるので待つのが吉ですね。
夫を殺すと仇敵扱いになるので現状は寿命を待つしかないですねプレイ前から狙っているなら武将編集で寿命を激減させるといいかもです(やったことはないので推測です)
確かに、三国志8って書いてませんね笑鄒氏が可愛すぎて、どうしたらいいかを考えてました。
火箭はかせんやと思ってました。試しにひせんって打ってみたら出てこなかったです…
いつも投稿楽しみにして待ってます!楽しみをありがとう🎉
12:32 三国志の書物
魯淑が持っているのは竹簡(木簡)です。竹や木の細いものを膠や革の紐で纏めたものです。
当時紙は大変貴重な物であり、地図など国家機密の物にしか使われませんでした(地図=領土であり、地図は降伏時に最初に出す程重要なものです)。
そのため命令書など一時的にしか使われない物は布、竹簡、木簡に書いて、読んだ後に燃やすまたは保管するなど処置を取りました。
※紙が広まり出したのも蔡倫という宦官が105年頃の後漢時代(三国志の少し前)に広めたため、まだ登場してそんなに経っていません。
紙は中国の最重要機密であり、紙そのものや作り方を伝えようと外に持ち出すと死刑になりました。イスラム世界に紙が伝わったのは700年と紙が開発されてから600年後です。
竹簡は紙と比べて劣化しにくいため、1972年に銀雀山漢簡という陵墓(墓)から孫子、孫臏兵法が見つかるなど2000年経っても原型を残して見つかる事があったそうです。
なお本を数える際に『冊』を使いますが、これは木簡や竹簡を表した象形文字だそうです。
(本を擦り切れるほど読むことを孔子の故事から『韋編三絶』と言います)
※ 韋編は纏めた竹簡。三絶はその紐が3度切れた事から。
パスタに見える竹簡に見せかけて実は愛知名物きしめんかもしれない
@@eg_uebara2008
いや、実はそばかもしれませんよ?
領土が細長く伸びてる所がちょっと不安ですね…
北か南を押し上げないと敵と面してる前線が多いから油断すると崩壊しそう…
13:20 パスタおじこと高柔。
袁紹の甥である高幹の従弟になります。
従兄の高幹1度曹操に降伏、再度反逆すると従わずに曹操の元へ降伏。曹操はいつか罪に問い、処刑しようとするも、あまりに優秀すぎたために出世した人物です。
司馬懿の『正治の変』が起こった際にも司馬懿に協力して曹爽を追い落とす事に加担しています。
つ、ついに海まで広がった!!!
と言っても海軍戦は無かったよねw
銀屏たんが脳筋になってしまっては花マンさんのキャラが薄くなってしまうよお!w
あと、忠誠低くて引き抜けた武将の忠誠ってどうなってるのかな?!あと引き抜きした後はその時いた都市で登用なのかな?!内政型を安全地帯に武力型を前線に振り分けるのも大変そう。その辺りは人事で個別に出来るのかな?!
18:02 三国志の身なりと刑罰
現代ではヘアメイクなどで簡単に髪を切ることができますが、この時代は髪=親から頂いたものとしてそれを切る=首を切ると同じ屈辱出会ったそうです。
では長くなった髪はどうしていたか?それは冠に簪をつけて固定していました。そのためこの時代の人は長髪がほとんどです。
そのため『蒼天航路』では劉備が呂布に捕まった際に髪を削ぎ落とす髡刑(こんけい、髪を剃り落とし投獄)に処していました。
演義でも曹操が『畑の麦を踏んだら死刑』という令をだし、その後自分の馬が畑を踏み荒らした際は自身も首を刎ねようとしましたが、部下に止められ、ならばと自身の髪の毛を切る(首を切ると同等の行為)をしています。
このように古代中国には体を傷つける肉刑(臏刑(足切り)、刺青、棒打ち)があり、時には死刑と同等の意味を持つものもありました(日本で言う武士が髻(もとどり)を斬る行為と一緒ですね)
※棒打ちに関しては下手すれば死にます(『蒼天航路』では一打で死んだ奴いましたし。曹操曰く40回を正確にやると確実に死ぬそうです)。演義赤壁の戦いの際に黄蓋に棒打ち100回(減刑して50回) に処しましたが、下手すると苦肉の策失敗に終わってたんじゃ…。
火箭(かせん)では………
直ぐ処断しますね、確かに
後年になると武将不足になりそうw
うぽつです。人間攻城兵器強すぎる
元姫ちゃん処断 なんてこった まあ親父と爺さんも処断してるから仇敵関係になってただろうから仕方ないか
玉璽はその名の通り玉(現代では翡翠と呼ばれる緑色の宝石)でできているのでこれが本物です
曹節は献帝の妻の一人で曹丕が「皇帝になるから玉璽よこせ」と言った時に使者に玉璽を投げつけたエピソードがあるので持っているのだと思われます
ちなみに三国志だと張飛の息子の張紹も玉璽を持っているグラです
16:00 広陵の武将だと諸葛誕さんは結構強いですね全能力70〜80代だったはずです
ゲーム的には義理が低いのでもしかしたら登用できてるかも?
諸葛亮の従兄弟で文欽などと共に魏を牛耳っていた司馬氏に反乱をし、孔明は龍・孔明の弟は虎・諸葛誕は忠犬だと称されました
14:13 三国時代の宴と酒
三国志の書物において度々出てくる宴。酒を注ぎ、肉を頬張り、家臣や仲間と労を労う…。戦乱の世の娯楽の1つでしょう。
さて、どんな料理が出されていたかは分かりませんが(2000年近くも前だし)、かなり厳しいマナーがあったそうです。
・食事、目上の人が来たら起立。
・ガツガツ食べない
・肉や魚を初めに食べてはいけない
・取った物を戻すな
・骨をかじるな
・偏食するな
・食事ができることに感謝せよ(庶民は疫病、飢饉、蝗害に苦しんでいるので食事ができること自体に感謝しないと)
またこの時代の酒は温めてから飲むのが一般的であり、アルコール度数が低いこともあってか多量に飲まないと酔えませんでした(現代でも蒸留酒より果実酒、穀物酒は度数が低いので)。
葡萄酒も西域から伝わり、曹丕がこれを愛していたとも。
出陣前には酒を飲み、士気を上げ、神、祖先に対して感謝を述べて戦に行きます。
また酒は水よりもより安全な飲み物として飲まれていたという側面もあります(ビールやワインも同様の理由でメソポタミアやエジプトで作られており、水より酒の方が安価な地域もあります)。
曹操の詩『短歌行』にも酒が出てくるなど三国志において酒は斬ってもきれない物でした。
温めた酒を『爵』という独特の酒器(杯)についで飲んだと思われます(名品で売っていますね)。
曹操は自身で酒を作り、『酒の神=曹操』であったり、張飛が部下にに命じて作った『保寧圧酒』など現代中国でも確かに三国志の酒が根付いています。
雑談で三国志で最も酒好きは誰か?張飛、曹操、曹植…?いいえ、孫権です。
孫権は極度の酒乱であり、酒によって部下を殺しそうになったことがあり『今後宴会で出した命令は不問とする』と言葉を残しています。
また家臣にアルハラしたりなど『こいつが本当に君主か?』という失態も起こしています。
いつの時代も嫌な上司をもつと苦労しますね…。
あんまり呉の進出先潰すと連合切れたときにこっちに向かってきそう
火箭かせん だねと見事に釣られてみる
火箭かせんだと思います。「ひや」でも出ます。
人材の登用はマスクデータの義理や相性なんかが関係しています。義理が高ければ相性が良くても登用しにくいですし、君主との相性が良くて引き抜きをしかけた人物との相性が悪いと忠誠がかなり低くないと成功しにくいです。韓起は史実では公孫淵に仕え、最初は連携するといったのに急に心変わりした公孫度の指示により呉の使者を〇害して金品奪ったりしてるやつなので、義理はおそらく低いでしょうから相性が最悪なのかもしれません。
都市攻撃して勝つって普通できないよな、バケモン…
強いね信長 魏には反撃させずどんどん攻めて行けば勝つだろう
並び立つ強さの相棒が欲しいね
他に車がかり持ってる人おらんのかな
生き甲斐!!!
ゲームだとどういう扱いになってるのかわかんないですけど
曹節は三つ子の姉妹全員で献帝の三代目妃になってます(初代と二代目は一族または本人が曹操害そうとして誅殺済み)
で本シナリオみたいな曹操死後だと何が起きてるかというと
曹叡、曹琳くんの父 曹丕が献帝脅して帝位もらいうけてるんですよねえ義理の弟脅してw
その際玉璽引き渡さず抵抗したり最後は投げつけて
爵位もらって隠居した献帝に最後まで付き従ってます
なので曹丕はもちろんその子らなんて嫌いなのかなぁとw
リアルの考えでいうなら曹家じゃなくて劉家扱いでもおかしくないですし
欲望に正直なノッブ😂
赤壁の戦いを再現したんですね(๑•̀д•́๑)キリッ✧︎
引き抜きガバガバだから、蜀の武将も引き抜きガバガバなのかな(* ᐕ)?
弱すぎるから相手になりそうな有名武将は編集でめちゃくちゃ強くしてみた。
味方CPUが負けまくるのでいいハンデに😊
呉と蜀を残して魏との闘い
吉と出るか、半と出るか( ・`ω・´)
※凶はどこかに行きました。
今日のパッパは沢山食べるね
信玄公「んっ!お尻ぺんぺん?何言ってるのだ!信長公よっ!夜の方だぞ!」
(お仕置き番号2番改めて)
謙信公「何や!信玄!うちもきたから信長公でっ遊ぶかっ」
都市壊しは、やめた方が良いんだよなぁ!4500の城壁の耐久が500まで下がりました!都市攻撃は、やめましょう!
パッパ、あれだけおなごは食べるな言うたのに…(´・ω・`)
司馬昭正室の王元姫。司馬昭との間に6人近く子供を産んだものの、ほとんどが早世してしまい、まともに残ったのが長男の司馬炎と三男の司馬攸(しばゆう)くらいしかいませんでした。実際に司馬懿、司馬師、司馬昭らから期待されたのが司馬攸の方で、若いころは司馬炎も司馬攸も評価はされていたものの、人望的には司馬攸の方が勝っていたとされ、司馬昭も後継には当初は司馬攸を考えていたともされます。ただ、家臣から「長幼の序」を乱すという事から反対にあい、結局、司馬炎が後継者となり、司馬攸はこれを支える立場になります。
こうした経緯もあって、司馬昭も王元姫も自分が亡くなった時の司馬攸のその後を相当心配したとされ、王元姫(この頃は王太后になっていた)は亡くなる際に司馬炎に「攸はそなたのことを冷たい兄だと感じていまる。私がいなくなった後、そなたと攸が相容れられなくなるのが恐ろしい。そなたに攸のことを託しますが、私の言葉を忘れてはなりません」と託したとされます。司馬昭が亡くなった後、王元姫は51歳で亡くなりました。
司馬炎と司馬攸の二人、しばらくは関係はそれほど悪くなかったのですが、司馬炎は皇帝となって、呉を滅ぼした後は酒色に溺れるようになりww、なおかつ司馬炎の息子の皇太子・司馬衷は絵にかいたような愚か者だったのでw、司馬攸は家臣から期待されるようになり、晩年には溝ができ始めてしまいました。さらに司馬炎に付いた家臣の讒言もあったりして、司馬攸は遠ざけられるようになり、最終的に憤怒の挙句に病を発症し、38歳で亡くなってしまいました。
こうして家臣たちが、司馬氏の王族たちにくっ付いて色々と好き勝手を始めてしまい、さらには司馬炎の没後には愚か者の司馬衷が皇帝になった事で、その后の「顔も悪ければ性格も悪いw」賈南風とその一派の専横を招くなど、司馬懿・師・昭の3人の祖が必死こいて「陰謀を巡らせて」築いた晋王朝を、泥沼の「八王の乱」で国力を弱体化させてしまい、あっさりと晋を滅亡に招いています。この腐敗構造は呉の末期の政権と結構似ていたりします(王族が好き勝手した&皇帝が暗愚)。
誰か教えて欲しいのですが、もう結婚してる人と結婚するにはどうしたらいいですか?
夫殺せばいけるんでしょうか?自分が殺しちゃうとまずいですかね?
えっとリアルの話ですか?
三国志8リメイクで結婚してる人と結婚するならばその人が未亡人になるまで待ちましょうとしか言えませんね。
別のチャンネルさんは劉備で周瑜が死んだ直後に小喬と結婚、その後寿命を伸ばしています。
自身が配偶者を殺すと仇敵となるので待つのが吉ですね。
夫を殺すと仇敵扱いになるので現状は寿命を待つしかないですね
プレイ前から狙っているなら武将編集で寿命を激減させるといいかもです(やったことはないので推測です)
確かに、三国志8って書いてませんね笑
鄒氏が可愛すぎて、どうしたらいいかを考えてました。